卒園生の声
「『生傷』の絶えなかったあの頃」 (第1回卒園生 / 中川医院 院長 中川隆さん)
「太宰府天満宮幼稚園」は、戦後の幼児教育の必要性が叫ばれた頃、筑紫郡で率先して開園されています。先生方は、当時の若き西高辻宮司様(※1)を園長として、園長の妹様や娘様、太宰府天満宮の職員家族の方々が多く、大変家族的な雰囲気のすばらしい園でした。戦後の事なので、教材はオルガンのみで、一日の大半は野外で遊戯をしたり、広い境内で、みんな真っ黒になって元気に走り回っていました。当時は、園児に制服は無く、両親の服を改良したものを着ている園児が多く色とりどりの格好をしていました。みんな元気良く「生傷」の絶え間がなかったようです。また、「鼻たれっこ」が多く、男の子の上着の袖はいつもツルツル(ちり紙・ハンカチ不要)でした。物資の少ない時代でしたが、大変楽しい「天満宮家族」のような、温かい雰囲気を持った幼稚園だったと記憶しています。
(※1)太宰府天満宮38代宮司
「お別れの言葉は心の中だけで」 (第18回卒園生 / 御田良知さん)
私の脳裏に強烈に焼きついているのは、古ぼけた園舎です。今は無き、旧木造の園舎の雰囲気をしみじみと思い出します。四季の花が満ち溢れていた、園舎前の狭いながらも走り遊んだ園庭、それらは、おそらく最古の思い出ではないでしょうか。園生活は、朝の参拝に始まって、お絵描き・折り紙などの楽しい保育時間、お昼のお弁当など、何もかもがはじめてのことでした。梅のつぼみが膨らむと、梅を見に行き、実がなると梅の実拾いなど、自然環境は最高でした。この環境に囲まれて、園児は心身共に健全な人間になると思います。
また、世に出てからの社会奉仕に役立つ人としての基礎は、この幼稚園なら十分に作れると思います。忘れられない思い出は、卒園式の答辞を読む役に選ばれていたのに、風邪の為に欠席して読めずに残念な思いをしたことです。
「楽しかったようちえん」 (第62回卒園生 /小学1年生 くろはらみさきさん)