質疑応答・対話
米津 今日は美術家と音楽家という対比でお呼びしたのですが、そこに境界はないと思っていて、お話を聞き終えて、改めてそのことを強く感じています。 中島佑太さんの大学時代の先生であり、私がアシスタントをしていたアーティストの日比野克彦さんが以前、「おゆうぎ」と「おえかき」は子どもの頃は誰もがしていて、大人になると「絵を描けない」という人がいるけれど、それは「描けない」ではなく、いつからか社会の評価や環境が「描かない」状況にしてしまっただけだと言っていたのですが、子どもと対話していく上で、何か気をつけていることはありますか?
佐藤 最初はノリでわーわーやっている子が途中で「出来ない」「わからない」と言い出すときがあって、後天的に「出来ない」「わからない」ということを学んでしまっているのだと思うのです。何かを学んでほしいというよりは、そういう余計なことを学ばない時間にしたいですね。
中島
僕は自分が大人にならなかっただけだと思うのですけどね。モットーとしているのが最初に話した「一人でやらない」というのと、もう一つ、誰が来ても参加出来る様にしています。途中参加オッケー。どうなるかわからないことを楽しむというのがあるけれど、やっていると「本当にこれできるの?」と思う瞬間っていっぱいあります。例えば、子どもが絵の具をぶちまけているとき「これ、どうなっちゃうんだろう」とか。片付けの心配もあるのですけれど、何かになるのか、ならないのか、という心配を含めた期待感ってあると思うのです。大人は心配の方にどんどん寄っていっちゃうけれど、モヤモヤの中で、何かできるのかもしれないと面白がって手を動かし続ける状況が大切なんだろうな、と思っています。
幼稚園の活動の中では、僕はダメって言わないようにしています。「これやっていいよ」「体に絵の具塗っていいよ」「髪の毛に塗っていいよ」「絵の具ぶちまけて...いい...よ」という状況で進んでいくのです。
今日は紹介しなかったのですが、「一人でやらない」という活動の中で、僕は作曲技術も演奏技術もないのですが作曲家とコラボレーションして、合唱曲を作るワークショップをやりました。これは「ピンピンしか言わない」の作り方に近いのかもしれないのですけれど、茨城県の「取手アートプロジェクト」のアーティスト派遣事業で、2コマ×5週間という授業枠をいただいて、子どもたちと小学校の40周年の記念のテーマソングを作るというワークショップをやりました。子どもたちと作詞・作曲をした合唱曲で、卒業式のBGMにもなりました。
あと音源が聴けるものだと、去年被災地支援の一環で、宮城県の塩竈市おじいちゃんおばあちゃんと一緒に作った合唱曲があって、おじいちゃんおばあちゃんに作詞をしてもらって、こちらで曲をつける、というものでした。それは今でも毎週仮設住宅のお茶飲み会で歌ってくださっているそうです。
米津 日本の保育、幼児教育現場では親の反応がまだまだネックになっている部分があるようですが、今日はここの「ほっ。とカフェ」にもお菓子を提供していて、「音のてらこや」にもお子さんを参加させている近田さんが来ているので、少し話を聞かせてもらえますか?
近田親ってやっぱり「後」のことをすごい考えてしまうから制限が出てしまって、もしかしたらその先にもっといい何かが出て来るかもしれないのに、余裕があるときは「すごーい!いいねぇ!!」なんて言えるけれど、そうは言えないこともあって、そこは私も反省するところです。 二人が親になっていないことを私はすごく魅力だと思っていて、子どもたちに対して私たちが現実を見てしまっているときも、子どもたちと一緒に夢を見て、楽しんでくれている。 子どもって共感してもらったときにすごく伸びるというのもわかってはいるのだけど、親だと義務的にそういった共感をしてしまったりすることがあって、そうではない目線で子どもを見てくれているというのが、すごく有り難い。 音楽だけではなくて、表現すること自体が上手になっている気がしています。レッジョの哲学も子どもと寄り添うということが基本にあると思うので、もっともっと一緒にやって欲しいと思います。
米津 二人のことを信頼しているからこそ、他者との関わりだからこそ、許せるというのはあるのかもしれませんよね。でもそれにしても、中島くんの幼稚園は想像以上の状態になっていたと思うのですが...
中島 クレームめちゃくちゃありましたよ。前橋の中では、言い方悪いかもしれないですがセレブ幼稚園だと言われていて、汚れてもいい格好で来てくださいとは言ってるのですが、服装がきれいな子が多いですし。今日は紹介しなかったですが、どういう表情をしているのかという見てもらう機会を設けて理解を得るということはやりました。
参加者 セレブな子どもたちで、お家で「これはしてはいけない」とか言われていることがあるにも関わらず、子どもたちの本能というか表現の仕方はすごいですよね。
中島
子どもにとって服が高いとか安いとか関係ないですからね。「今日買ったばっかりなのー」って汚れた部分を見せに来てくれたりします。最初は絵の具に触れなかった子も、時を経るにつれて、汚れている服が勲章っぽくなるみたいです。先生が「着替えたら?」と言っても「これがいいの」と、汚れを含めて作品の一部という認識が出てきたのかな、と思う瞬間が何度かありました。
僕は学びのプロでもなく、何かを教えているつもりもないですが、少しずつ変化したり成長している部分が見えています。偏見かもしれませんが、ダイナミックに遊ぶ子とそういうのを避けている子とでは、例えば絵の具まみれになっている三人は、楽しさを遊びに変えてお片づけも最後まできっちり出来るようになっていると思います。解放の中にも協調があるのを感じています。
米津 レッジョ・エミリア(※)では子どもたちの活動をドキュメンテーションという形で共有していて、教育のアプローチの名前になぜレッジョ・エミリアという都市名がついているかというと、先生だけでなく親も教育に介入するし、町や市のみんなで教育活動をシェアし、共につくっているということの表れなのですよね。
佐藤 僕らは記録に関しては、写真家の友人を呼んだり、お父さんお母さんが自主的にやってくれたりしているので、中島くんはやりながら撮ったんだ、すごいなと思って見ていました。
中島 僕は最初にお断りをしようと思ったくらいに自分ではうまく撮れていないと思っていました。
米津 写真、とてもよかったです。
中島 今日の料理もよかったですね。
米津 ここ「ほっ。とカフェ」は、3児の母であるオーナーの鈴木礼子(あやこ)さんが、親が子どもと一緒に過ごせる空間が外にもっとあってもいいのではないかと、子育てしながら体に優しいご飯を提供していて、今日の趣旨にぴったりだと思ったからなのです。酵素玄米という最近話題でご存知の方も多いと思いますが、玄米を発酵させていて、消化がよく、真夏に持ち歩いても腐らないという生命力を持ったご飯です。お子さんをおんぶしながら、酵素玄米を準備したり、揚げ物をしたり、お料理を提供してくださいました。オーナーの鈴木礼子さんです。
ほっ。とカフェ あやさん 去年の6月に開業しました。それまでサラリーマンをやっていましたが、三人目が産まれて、子どもと一緒にいたいという思いが強くなり、この辺りは幼稚園などがあるわりには、子どもといられる場所が少なく、子どもといられるカフェがあってもいいんじゃないかな、と思って始めました。nicoritoの(近田)のんちゃんがたまたま見つけて来てくれたり、口コミでたくさんママたちが来てくれて、楽しくやらせてもらっています。うちは場の提供をしたいので、お茶でも飲んでいただければ、夜もヘルシーなジャンクを提供しているので、是非自由に使ってください。
米津 最後にお互いの発表を聞いた感想をお願いできますか?知り合いではあったのですよね?
権頭 はい。でもここまで子どもに関わる活動をこんなに長い間していたとは知らず、奇抜なぶっ飛んだ兄ちゃんだと思っていたので、いろいろちゃんと構築していてびっくりしました。
佐藤 基本的なスタンスはすごく近い、と思いました。
権頭 中島くんも子どもたちから出てくるものを受け取って、同等なものを新たに返すという交換が出来ているのが素晴らしいことだと思うし、私たちもそれを常に目指していきたいので、目に見えるもののアプローチとして共感できます。幼稚園なので難しいのだろうけれど、見に行ってみたいと思いました。
中島 うちの幼稚園はけっこうフリーな幼稚園なので「僕の知り合いが来たいと言っている」と言えば、「どーぞ、どーぞ」という先生たちなので、僕が居る日ならみなさんいつでも来てください。 それと、幼稚園側も研究者を求めている部分もあって、先ほどのドキュメンテーションの話もそうですけれど、自分たちはプレイヤーとして精一杯なのでなかなか記録が出来ません。僕も片手間に写真を撮っているだけで、先生たちも自分たちがやっていることに意味があると思ってはいるのだけど、言語化する余裕がない。群馬だということもあって、研究者との距離がやはり遠く、そこをすごく求めているので、そういうご興味のある方は是非来てください。
米津 中島くんは、二人の話を聞いてどうでしたか?
中島 やはり、ドレミからスタートしないのはすごくいいなと思いました。僕も線の描き方とかカッターの使い方とか一切やっていないし、スタンスはすごく近いと思います。ただ一つだけネガティブな意見ですぐに思いつくものがあって、「てらこや」の名前ってどこか塾のイメージがあって、何かを教えるというニュアンスを含んでいる気がするのですよね。僕はどんなワークショップでも先生と呼ばないようにしてもらっていて、先ほど話に出た「親じゃないから出来る」というのはすごく大切なことで、良くも悪くも親でも先生でもない立場の人間が来たっていうことにすごく意味があると思っていて、そのスタンスは似ているのだけれど、「てらこや」と言ってしまうと違うベクトルの意味合いを含んでしまうということを感じてしまいました。
権頭 どうして「てらこや」にしたかは、ただお寺でやるからというだけであって、この活動が自分たちの活動のここまでを占めてくるとは正直思ってもなかったので、確かに言われてみれば「塾なのかしら?」と思う人もいるかもしれないですね。
中島 親御さんから求められるのはどうしても「教育」なんですよね。けれど、成果主義ではない、まったく別のスケールではかってもらいたいので、それを作っていかなくてはと思っています。
佐藤 展示は卒業制作展以外にも時々やるのですか?
中島
展覧会形式は僕はやっていなくて、卒業制作展は園としては毎年やっています。僕は卒業制作はほぼ関わっていなくて、それが面白いから専門的な意見を聞きたいということで呼ばれたこともあって、先ほどの写真が逆光だったり、ここをもう少しこうすればいいのに、ということが後から発生してしまうのは専属ではないので難しいところです。
今後アーティストを雇うことがある人には是非覚えておいてもらいたいこの幼稚園のすごくいいところがあります。毎週何曜日とか決まった時間に通うのが苦手なんですが、幼稚園との条件で唯一確保したのが「いつ行ってもいい」ということなんです。「2-3ヶ月海外に行っていないかもしれないのですが」と言ったら、「どーぞ、どーぞ、行ってきてください」って言ってくれるような園なのです!
米津出張ワークショプをお願いすることもできますか?
中島それはもちろん承っています。でも、今日僕が紹介したワークショップは僕の作品とは言っていませんし、是非ご自宅でみなさんやってみてください。流し(台)と勇気があれば出来る(笑)。
佐藤 「出来ない」「わからない」と途中で言い出す子はいませんか?
中島年中さんくらいから「描けない」「出来ない」と言い出す子がいますよね。僕はまだ一年しか見ていないので、どんな過程でそうなっていくのかわからないのですが、造形活動を今まであまりやっていなかった子の方が、出来ないということが多い印象は持っています。とにかく好きなんだ!っていう子はどんどん挑戦しますからね。
権頭 「出来ない」とか「わからない」って、自分の好きなものがしっかりわかって来ていると、それを目指してしまっているということもあって、一概にはわからないというわけではないと思うのです。そういうときは戦い抜いて欲しいと思うし、音楽の場合、こういう響きが作りたいけど弾けないとか、けっこう素敵だなぁと思います。
中島 目標値としてのイメージに近づけたくでもまだ近づけていないという出来ないと、ここまでやると褒められるのにそこに届かないという評価に対する出来ないとは種類が違うと思うのですけれど、年少とか年中でも“ここまでのラインだと親に褒められる/褒められない”というのがわかるのです。特に親と接する時間が少ない子の方が多いというのは確かに考えるとあって、僕を独占したい子は「絵を描こう」と言ってくるのにやり出すといきなり「描けない〜」とか言って、愛に飢えているのかなと思うことはあります(笑)
参加者 保育園、幼稚園時代には天才だなと思う作品が出来るのに、小学校にあがるくらいを境目に、なんだか普通になっちゃうなという感覚が経験としてあったのですけれど、年中さんくらいからそういうのが出てきますか?
中島 さっき話に出た「おゆうぎ」と「おえかき」みたいに小さい頃って出来ることの選択肢ってそんなにないじゃないですか。幼稚園でおえかきをやっていても上手い子もいれば下手な子もいます。小学校になると国語も算数も社会も入ってきて、絵が上手くあり続ける必要はなくて、それぞれが自分に得意なことを見つけていくだけなのかな、と。美術教育って教材がいけない、とか学校の先生がたいして絵を描けないのに教えているのがいけないとか否定されることが多いですが、僕自身を振り返ってみると、僕が教えてもらった先生が絵が描けたかどうかは覚えてないし、でも僕は教材をもらうのがすごく楽しかったし、それを使って誰も作ってないようなものを作ることが楽しかったから今こういうことになっていると思うのです。絵を描き続ける必要も、音を奏で続ける必要もないし、それぞれの得意な方向に行けばいい。もっと大事なのは、根源的な想像力で、いかに妄想して楽しんでいるか、それがなくなった瞬間が一番問題だと思います。 ドレミって正しく弾ける必要はやはりなくて、バンバン弾いてちょうちょを思い描くことが出来る方が大事だと思うのです。
※ | ボローニャから電車で30〜40分に位置する北イタリアの都市レッジョ・エミリアで第二次大戦後に始まり実践されている教育アプローチ。1991年ニューズウィーク誌に「最も革新的な幼児教育」として紹介され世界的に注目をあびている。 |
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